考案者:平田 内蔵吉

 昭和7年、平田内蔵吉は、京都大学医学部在籍中に大学の意向に反して皇法医学研究会を設立しました。
この研究会は経験則に基づく伝統的民間療法と客観的科学的根拠を持つ西洋医学を統合することにより、真の国民の健康を支える新しい分野の療法の創出を図ることを目的とした研究会でした。
 平田がこの会を設立した動機は、当時、西洋医学の治療では目に見えた治療効果が上がらない患者が、医学会から低く見られていた民間療法で治癒する光景を体験したことにありました。
この体験を契機に平田は民間療法の正当なる評価をする必要性を深く認識することとなりました。平田は漢方・民間療法を存続させるために深く研究をはじめる。
その結果として伝統的民間療法の普及を図ろうとするならば、この療法の中に横たわるさまざまな問題点を合理的なものにする必要があると考え、伝統医療に西洋医学の視点に立脚した新しい解釈(統合医療の概念)を打ち立てて社会に発表していきました。
そして、この西洋医学と伝統的日本医学を統合した医療を皇法医学と称することにした。
 この平田の行動は大学との軋轢を生じ平田は自ら進んで卒業直前に退学してしまいました。
 その後この平田氏設立した皇法医学研究会には、多くの鍼灸師や武道家や医業類似行為者が参加して伝統医療・民間医療法を真の皇法医学へと高める研究を進めていきました。
そして、平田は国民皆医(皇法医学は予防医学として誰でもできる家庭療法であるべきである)の理想のもとに一般家庭の人々に治療法を公開し皇法医学の普及に努めていったのです。

 

平田式十二反応帯

 平田先生は、ヘッド氏・マッケンジー氏や他の先生方の考え方と東洋医学の考え方を合わせて、独自の平田式内蔵十二反応帯という体表人体図を考案しました。

 皮膚における知覚異常の反応部位を、頭部・顔面・体部・下肢・上肢をそれぞれ12部位に分割して考える。
上から順に、気管支・肺・心臓・肝臓・胆のう(および膵臓の外分泌部)・脾臓(および膵臓の内分泌)・胃・腎臓・大腸・小腸・膀胱・生殖器の順に現れる。

経状反応線(運動線)

 経状反応線は直立二足姿勢の保持・二足歩行などの運動時における各骨格系器官の相互の協調・均衡・抑制の働きを要素に考察して、上下の方向に現れる14の経状反応線の内容と位置を決定する。
この経状反応線はその生理的機能活動の状態において、内臓反応線と称したり、運動線と称している。

運動線
体性神経は骨格系を管理して、心の動きを身体運動を通して外界に対して表現している。各運動線は相互に協調・均衡・促進・抑制しあいながら、安定した姿勢の保持に努めている。

内臓反応線
この経状反応線は自律神経の働きである内臓諸器官の働きを統合・管理して、健全なる生命活動を支えるため、質の高い生命エネルギーを生成し諸器官に供給して、傷んだ細胞・組織の修復を図る働きを反映する。

平田式十二反応帯図